『シンフォニック=レイン』をクリア

今日は久々にゲームをクリアした。プレイし始めたのが確か4月の初めくらいのことで、5月はまるっきり放置してしまっていたのだが、なんとかクリアできて良かった。放置していた理由も俺の精神的な不調によるものであって、今回2か月ぶりくらいにゲームを起動したところ、おもしろすぎて気が付けば1日パソコンの前に座っていた。こうして俺の健康はまた少し損なわれたことであろう。嗚呼素晴らしき哉インドア生活......

 

で、その素晴らしきゲームのタイトルは『シンフォニック=レイン』である。これは2004年に工画堂スタジオから発売された全年齢対象のPCゲームで、その後も何度か愛蔵版やリマスター版が発売されてきたらしい。先述したように俺が途中で放置していた間にも、新普及版というのが出たらしい。とても息長く愛されているゲームのようである。そして実際にこのゲームをクリアしてみて、その理由もわかったような気がした。

 

ゲームジャンルとしては、古き良きノベルアドベンチャーというのであろうか。そこにまあまあの頻度で音ゲーが挟まれている。なぜ音ゲーかというと、「音楽」という要素が作品上における重要なテーマの一つとなっているからである。ゲーム序盤の大まかな流れとしては、とある音楽学院でフォルテールという特殊な楽器を専攻している主人公のクリス君が、卒業課題で一緒に合奏してくれるパートナーを探すという感じである。

 

ついでに俺がプレイしたのはsteamで発売されているHDリマスター版というやつで、キャラデザは当時のものからリニューアルされているが、ゲームの根幹的なシステムやシナリオはたぶんあまり変更されていない、のであると思う。ちなみにキャラデザは『ヤマノススメ』でも有名なしろ先生である。

 

プレイし始めてまず、心地の良いゲームだと感じた。このゲームの舞台であるピオーヴァという街は、音楽の街であるとともに雨の街であり、とにかくずっと雨が降っている。全体的に淡い水彩画のようなタッチで描かれた街が、雨空の下でどことなくくすんだ色味を帯びている。効果音として、必然的に雨音がつきまとう。現実でも雨音を聞いたり雨の街を眺めたりするのが好きな自分にとって、こういう雰囲気はとても好みである。

 

そんな街を背景にパートナー候補でありヒロインの可愛い女の子たちが登場する。みんなしっかりとキャラが立っている。あんまり詳しい話をするとネタバレになるのでここでは書かないが、もうみんな本当に魅力的である。それぞれのヒロインのエンディングに、それぞれの良さがあり驚きがある。シナリオの力もすごいし、声優さんの名演にも何度も震えさせられた。このゲームには様々な伏線が張り巡らされていたりするので、一度全部クリアした後にそれぞれのルートをプレイし直してみると、いろいろと新たな発見もありそうな気もする。

 

あと忘れてはならないのは、音楽の素晴らしさである。岡崎律子さんの素晴らしき音楽抜きには、この作品の魅力は説明できないだろう。実際にゲームのストーリー上の都合として、何度も同じ曲を聴いたりもすることにもなるのだが、飽きることがなかった。音ゲーパートが来るたびに歌詞の意味を考えたりもした。音楽の素晴らしさを言葉で表現するのは俺にとっていつも難しいことではあるが、とても作品の雰囲気にマッチした美しいメロディーと歌詞であることに間違いはない。

 

まとめると、シナリオもキャラも音楽も作品全体の雰囲気も全部良かったということである。しっとりと感動したい人に是非おすすめしたい。このまごうことなき名作が、これからもじわじわと普及していくことをネットの片隅から願っている。

 

 

最後に個人的に好きなヒロインの話をすると、リセちゃんかな。リセルシア・チェザリーニちゃん。テーマ曲も好きだし、ちょっとずつ心を開いてくれる感じとか、無垢なところとかかわいいし。俺はこういった系統のヒロインに弱いんだなとつくづく思う。

 

 

 

長谷川四郎「鶴」

久々に小説と呼ばれるジャンルの文学作品に手を出したいと思ったのだが、相変わらず頭の調子があまり良くないので、難しい内容のものや長編の作品にはなかなか手を伸ばす気になれない。というわけで長谷川四郎の短編集の中から、「鶴」を読んでみた。

 

 俺はかねてより長谷川四郎の小説をいつか読みたいと思っていて、それはなぜかというと、村上春樹『若い読者のための短編小説案内』で紹介されていたからである。この本の中では題名の通り、村上春樹が個人的に気に入っている様々な作家の短編小説について分析を加え論じている。『若い読者のための短編小説案内』を読んだのも随分と前の話なので、詳しい内容は忘れてしまったが、村上春樹長谷川四郎について語っている文章を読んで「面白そうだなあ、俺もいつか読んでみようかな」という印象を持ったことだけは覚えていたので、いい機会だし読んでみるかと思い今回手に取ってみた次第である。

 

長谷川四郎という作家は、自身の戦争体験・シベリヤ捕虜体験をもとにした短編小説をいくつも残しており、その中でも「鶴」は名作と名高いらしい。実際に読んでみて、これは確かに良い作品だと思った。まず、文体が良い。簡潔で読みやすいが、のっぺりした印象はまるでない。難しい言葉を使わないのに、鮮やかに情景を描写をしている。戦争を舞台にした作品であるのに、血生臭さがない。戦争の苦悩やら葛藤がどうとか、そういう描写はほとんど出てこない。どこか自分自身をすら対象としているような、クールな観察者の視点を感じる。好感の持てる、魅力のある作品である。俺の好みの文体でもあるし、今の俺にも合っている。読みやすく、短くまとまっていて、文体に魅力があり、読後にじんわりとした喜びが体を包む。

 

「鶴」は良い作品であった。他の短編はまだ読んでいないので、ぼちぼち読んでいきたい。そしてそのうち、気になっている長編小説リストの方も消化できるようになっていけたらいいな。

 

さて、風呂に入るか......

 

 

 

 

 

 

フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』をぱらぱらと読む

このブログの使い方について、前回の更新では「日記をつけたり読んだ本の感想を書いたりしていければいいなとぼんやり思っている。」などと書いたものの、実際のところ俺はかなりの出不精であるしかといって胸を張って趣味といえるほど読書に親しむ生活を送っているわけでもない。必然的にブログに書くことがあまりない。でもあんまり放置するとブログを書きたいという気持ちまでいつの間にか減衰していく恐れがあるので、やっぱり最初の内はいくらか頑張って更新したい。自分で始めたブログで勝手に強迫観念に囚われている。難儀な話である。やれやれ。

 

休日だというのに俺は特にどこにも行かないし(時勢的に行きにくいというのもあるが)、特に生産的な活動をしているわけでもない。俺はあんまり元気がないのかもしれない。でもあんまり元気がないからこそ、逆に興味のわく本もあると思う。

 

 


フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』である。ペソアのことはTwitterで哲学者の永井均さんが言及していたことから存在を知り、現在はbotもフォローしているので、ツイ廃の俺はまあまあの頻度でペソアの言葉を目にしてきた。その結果、いつかは紙の本でペソアを読んでみたいと思うようになっていたし、それならまずは手頃なサイズの本から読もう、と思い手にしたのがこれである。タイトルも気に入った。

 

ぱらぱらと読んでみて、やっぱりペソアはいいなと思った。とても落ち着いた気分で読める。ペソアの知的な文章と、言葉の端々に滲む宿命的な倦怠感が俺を惹きつけるのだろう。なんというか、読んでいると無理に元気になろうとしなくてもいいのかなと思った。永遠の中に佇む廃墟のことを考えながら、俺はまた眠ることにしよう。おやすみ。

 

 

 

あいさつ

またブログを始めてみようかなと思った。思ったものの、何を書けばいいのかはまだよく分かっていない。何となく、日記をつけたり読んだ本の感想を書いたりしていければいいなとぼんやり思っている。まあゆるく続けていきたい。今日は疲れたので酒を飲んで寝る。