『映像の世紀』を観る

俺は別に、歴史について特に詳しいわけじゃない。世界史についての俺の知識なんてものは高校教育程度のものでほぼアップデートが止まっているし、日本史に関してはそもそも選択科目で選ばなかった。今から本腰を据えて学びなおそうという気力もない。そんな俺であるが、いつかこんなものを買っていた。

 

 

なかなか高い買い物であった。そもそもなぜ買おうと思ったのかという話は何か自分でもうまく思い出せないのであるが、買ってから結構長いこと放置していたような気がする。俺の手元でBlu-rayを再生できる機器は比類なきソニーPS4になるのだが、ここ一年ほどはそもそもゲーム意欲があんまりなくて、PS4はその間ずっと部屋の片隅で物言わぬオブジェと化していた。そんでまあ最近久々に稼働を再開したところなので、せっかくだしこの『映像の世紀』ってやつも少しずつ観ていきますかという気になって、先日全部見終わったところである。

 

そこには20世紀という時代が、映像として記録されていた。戦争と殺戮、血と死体。映像というメディアに収められた圧倒的な生々しさと様々な手記や書物等からの引用、そして静かな語りのナレーション。まったく、俺はほとんど涙が出そうなほどだった。土地・民族・思想・宗教、よく分からんがそういったものを理由にして、どうして人間がかくも惨たらしく殺し合わなくてはならないのであろうか。いかなる正当化や大義名分をもってして、より効率的な殺戮の追求なんてものが許されるのであろうか。どういった種類の人間が、より多くの人々を支配し、搾取したいという欲望に情熱を傾けることができるのであろうか。俺には分からない。分かるのは、何か馬鹿でかい規模の思惑の衝突、その巻き添えになって死んでいく数えきれないほどの人々がいるということだけだ。歴史というものには間違いなくそういった負の側面が宿命のようについてまわるものであるし、それは目に見えるものであれ見えなものであれ、現代まで連綿と続いている。俺がここで見たものは、様々なかたちで受け継がれてきた人類の人殺しとしての顔、その一端に過ぎないのであろう。だがとにかく、そのインパクトは凄まじいものがあった。

 

映像の世紀』の大部分は、ひたすら陰鬱な気分にさせられるような構成となっている、というか俺はなった。なかなかショッキングな映像も多々ある。その辺は注意しておいた方がいいかもしれない。だが観る価値はある、俺はそう思う。