2021年振り返り

気づけば2021年もそろそろ終わりそうとのことである。なんかあんまり実感がわかないのは、年末年始のうち半分くらいは会社に出勤することが確定していることも関係しているかもしれない。あるいは、俺が現在テレビというものを所有せず年越し番組を見られないことや、こたつに入っておせちなんかをつまんだりするような精神的余裕、物質的余裕がまるでないことも関係しているのかもしれない。俺はひとり淡々と孤独に年明けを迎え、その延長線上にまた泥沼のような日々が続いていくような、そんな予感をもう既にひしひしと感じている。そんな予感を感じながら生きていくのは楽しいかと自問自答すると発狂しそうになるので、なんとなく自分の気持ちを適当にごまかしながら生活している。そしてそんな生活は何も最近に限ったことではなく、振り返ってみれば一年を通じて、そんなぐだぐだした気持ちで日々をなんとかやり過ごしてきたような気がする。まあ環境的にはいろいろと変化はあったのだけれど、肝心の俺の精神が向上する気配がまるでなく暗い思考に歯止めがかからないので、もう俺は精神の安定を図るためのなんらかのおくすりを処方してもらった方がいろいろとうまくいくのではないかと思い始めてはいるのだが、それも折に触れてそう思うだけで、結局は俺の行動力のなさ、主体性のなさを実感するばかりで、休日は布団にもぐって惰眠を貪ることでいたずらに時間を消費することしかできず、そのぶん俺のこころのなかにぽっかりとした真空地帯が虫食いのように広がっていくのを感じていた。

 

2021年、なんかいいことあっただろうか。よく思い出せない。ワクチン打ったからって特段どこかに遊びに行くこともなく、旅行することもなく、友達と遊ぶこともなく、そもそも友達がおらず、本当にもくもくと死んだ目をして労働していただけだ。俺はたぶんこの先誰かと結婚することもないだろう(そこには経済的な問題もあるし、性格的な問題もある)。もし奇跡的な確率でそんなイベントが俺の人生に生じることがあったとしても、俺が子をもつ親になることはまずないだろう。(それは経済的な問題であるとともに、俺の個人的な思想の問題でもある)。客観的に見て、俺は社会のお荷物以外の何者でもないだろう。......こんなことばかり考えてしまう。そしてそれはおそらく事実に違いないので、俺はますます捨て鉢な気分になる。でもやっぱり野垂れ死ぬのは怖いので、労働から抜け出すことができない。

 

終わってる。

 

なんにせよ、俺は自分一人が食っていくだけの金を稼ぐ低賃金労働に従事することで精いっぱいであるし、この状況がそう簡単に好転するともあんまり思えない。それは俺がどこまでも俺であるがために。

 

今年もいろいろと落ち込みがちな年になったが、その原因の大半は労働によるものであることはあまりにも明白である。ゆえに俺は年末ジャンボを購入したのだ。金だ、金さえあれば俺は、俺をとりまく諸々の苦痛から解放されるだろう。街に降り注ぐ雨をこの身に浴びながら「俺は自由だ!」と高らかに宣言し、くそったれなスーツを脱ぎ捨て、どこまでも晴れやかな気持ちで退職手続きを済ませ、一生を引きこもって過ごすことができるであろう。宝くじは貧者の税金だとかそんなことは知ったことではない。俺にも少しは安寧の夢を見させてくれ。

 

頼んます、頼んます......